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健康寿命ってそんなに重要か?

「健康寿命を伸ばすことが重要だ」

最近そんな投稿をよく見かける。

しかしながら、僕としては健康寿命を伸ばすことは、個人にとってはそれほど重要なこととは思えない。

国としては当然介護費やら医療費やらの関係で重要なことだと思う。

しかし、健康寿命を個人の目標として設定してもいいことないと思う。
その理由を自分なりに掘り下げていきたいと思う。

健康寿命とは

厚生労働省によると、健康寿命とはある健康状態で生活することが期待される平均期間を表す指標だそうだ。

ちなみにこの検査方法は「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」という質問に対して「ない」という回答を「健康」とし、「ある」という回答を「不健康」として、サリバン法により算出されるそうだ。
※解釈が間違っていたらごめんなさい。

つまり、健康寿命というのはその人の主観に左右されるし、日本人の気質上、ある程度の年齢になれば、「歳のせいで影響がある」と答える人は一定するいるのではないかと思っている。

ある程度の年齢になれば、近所に買い物に行くのも大変になるし、影響がないと答える人がいるのか非常に疑問だ。

ぶっちゃけ、健康寿命というのはあまり意味のない数字だと思う。
まあ、この部分を強調すると都合のいい人や会社が多いのも事実なのだろう。

国の方針としては、健康寿命と平均寿命の差を強調し、健康でいるためのアクションを起こしてもらいたいという考えのもとに強調されているのではないかと思う。

ちなみに、平均寿命と健康寿命の差を強調し、その期間を寝たきりの期間とミスリードするケースもあるがそれは誤りだ。
もしくは、その期間を何らかの介護を受けている期間としているケースもあるが、必ずしもそうとは言えない。

なぜなら、健康寿命は介護を受け始めた期間や、介護認定されたタイミングではなく、その人の主観によって決まっているからだ。

健康寿命は問題じゃないと思う理由

僕は介護保険をベースに仕事をしてきた。
介護保険では、介護を受けている人がその人らしく生きられるように支援してきた。
それがリハビリテーションというものだ。

ちなみに、ここでいうリハビリテーションとは、一般的な機能訓練の意味で使われるリハビリとも法律上の医師の指示のもと行われるリハビリテーションとも別の意味合いだ。

元々のリハビリテーションという概念は、全人間的復権というような意味がある。
ざっくりいうと、その人がその人らしく生きること、というような意味だ。

運動とか訓練ではなく、哲学的なものだ。

健康寿命が尽きたとしても、結構楽しそうに生きている人はたくさんいる。
いい世の中だと思う。
自分の趣味を楽しむ人もいれば、食を楽しんでいる人もいる。
素晴らしいことだと思うし、たとえ、日常生活に不便が生じたとしても、人は豊かに生きられると信じている。

それに加えて、健康寿命を過ぎてそこから寿命に向かって生きていく人の姿は、健康寿命を生きる若い人にとって、意味のあることだと思う。

よく、親の死をきっかけに、自分の生き方を変えたというような人がいると思う。
それって、死んだからではなく、死に向けてどう生きたかというような生きる姿から学ぶことが多いのだと思う。

私自身、介護支援にあたって、多くのことを学んだと感じている。
まあ、全ての人がそのように感じるかは、保証しないが。

健康寿命は問題じゃないと思う理由その2

僕の尊敬する理学療法士の先生がよく使う例えがある。

つんく♂と忌野清志郎だ。

知っている人は知っているが、この二人は同じ職業で、同じ病気にかかった。
喉頭がんだそうだ。

歌手にとって喉頭がんになるということは、歌手としての寿命が終わるということだ。

忌野清志郎は歌手の期間を最大にして、死んでいった。
つんく♂は家族のために声を諦め寿命を延ばす選択をした。

どっちがいいとかどっちが悪いとかはないと思う。

それぞれの人生で、それぞれの正解だ。
僕はそれでいいと思う。

健康寿命どころか、寿命でさえ問題ではない。

要はその人が、どう生きるかということが重要だ。

生きるということ

「生きる。」という映画がある。

黒澤明の映画だが、イギリスを舞台にリメイクされたものもなかなか悪くない。

胃がんによって余命宣告を受けた高齢者男性が、それまでの人生を振り返り、短い人生をいかに生きるのかというテーマの映画だ。

ここで登場する主人公は、健康な時代は漫然と生きてきた。
しかし、余命宣告を受けたことによって、より真剣に生きようとした。

がんの影響で、健康状態には影響が出ていたが、病気の後の方が、生き生きとしていた姿が印象的だった。

この映画の中では、主人公は健康寿命が尽きてから、自分に正直にしっかりと生きることができていたように思える。

やはり健康寿命というのは重要じゃないと感じる。

要は、今、真剣に、自分らしく生きることができているのかということが重要だと思っている。

その結果、健康寿命だけでなく、寿命そのものを縮めてしまったとしても、死ぬ瞬間に後悔することはないのではないだろうか。

今、生きることを支援したい。

僕は、健康寿命を目標とする必要はないと思っている。

何らかの理由で、自分の思うような生き方をできていないことが問題なのだ。

その理由が健康だったり、心の問題であったり、いろいろあるのだと思う。

しかし、その理由を少しでも軽くすることができ、その人が自分らしく生きることができると思えるような状態にしていきたい。

寿命がもし明日までなら、今日何をするかということと通じるところもあると思う。
寿命を縮めてでも、やりたいことがあるというのは素晴らしいことだ。

そして、やりたいことをやるために、ベストな状態作りをサポートすることに当院の存在意義があると思う。

今、一番いい状態にすること、それが楽眠整体の目標です。
そのような考え方に共感していただける人は、ぜひ僕に会いにきてください。

小田桐 峻輔

小田桐 峻輔

理学療法士。日本理学療法士協会所属。 楽眠整体両国。病院、施設、在宅を経験し、眠りに悩みを抱える人が多いと感じる。身体と眠りの最適化をコンセプトにしている。

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